「愛と欲望の劇場-浮気・不倫・離婚2chまとめブログ-」はその名の通り、浮気・不倫・離婚についてまとめた2chまとめブログです。
2chの家庭板や浮気・不倫板を中心に様々な板からカップルの浮気や夫婦の不倫・離婚騒動はもちろんのこと、修羅場や武勇伝、復讐など人間の愛と欲望渦巻くあらゆる話を掲載しています。
今後あなたの身に起こるかも知れない男女間のトラブルを赤裸々に告白したものとなっております。
2chの家庭板や浮気・不倫板を中心に様々な板からカップルの浮気や夫婦の不倫・離婚騒動はもちろんのこと、修羅場や武勇伝、復讐など人間の愛と欲望渦巻くあらゆる話を掲載しています。
今後あなたの身に起こるかも知れない男女間のトラブルを赤裸々に告白したものとなっております。
2014/06/01 21:35
[ 完結] [ 女性視点] [ 修羅場] [ 浮気] [ 離婚] [ カップル]
10: 名無しさん@HOME: 2012/11/29(木) 17:46:18.85 0 思い出せる限りで一番古い記憶は爺さんの葬式だった。
当時、私は両親と姉の四人で暮らしていて
列車で30分位離れた所に母方の祖母が住んでいた。
祖母の家には祖母の他に半分寝たきりみたいな婆さんが住んでいて
祖母をこき使っていたが祖母は誰にも愚痴一つこぼさずにその婆さんの言うことを聞いていた。
その婆さんは、祖母の所を訪れた私や姉に
ことあるごとに『あんたらの婆さんは、爺さんを私から盗った』と話した。
そんなことを言われても子供に理解できるような話ではないし
子供の感覚ではそもそも知ったことではないので
その婆さんは私たち子供にとっても母にとってもうっとうしい存在だった。
11: 名無しさん@HOME: 2012/11/29(木) 17:59:43.73 0 詳しい事情は私たちどころか母も産まれる前の話なのでよく分からない。
その昔、昭和十年代と推定されるが
日本海側の雪国の農村から集団就職で祖母は街へ出てきた。
そして住み込みである店で働くこととなった。
その店の主人夫婦には子供が一人いたが、幼少の頃に亡くなった。
それから十数年経った頃に田舎から出てきて店で働き始めた祖母は
主人夫婦の亡くした子供と同い年だった。
祖母は亡くなるまで一切語らなかったのでどういう経緯があったのかは分からない。
だが、祖母の産んだ私たちの母の父親は、この店の主人だった。
妻との間に最初にできた子と同い年の女性に手出すとか
一体どうなんだこの爺さんは。
14: 名無しさん@HOME: 2012/11/29(木) 18:17:47.55 0 祖母の妊娠が発覚したとき、どんなことになってたんだろか。
爺さんは子供ができない嫁を捨てるわけでもなく
そのままなし崩し的に祖母の産んだ母を認知して四人で一緒に暮らしていた。
優柔不断だったんだろか。
祖母は大人しい人だったが、爺さんの嫁は性格きつい人だったので
爺さんも祖母も何でも言いなり状態になってしまっていたのかもしれん。
そんな家庭で母は育ったわけだが
母の男を見る目のなさから想像するに
家庭内での爺さんの父親としての機能は
あまり高かったとは思えない。
その後、母は父と結婚して、姉と私が産まれた。
16: 名無しさん@HOME: 2012/11/29(木) 18:29:48.55 0 母が選んだ最もまともな男が父だった。
ある種の専門家で、私たちが住む家にも仕事道具がいっぱいあったし
趣味にも通じる仕事だったので、仕事なのか趣味なのか
家でも押し入れを利用した作業スペースで何やらやっていた父を憶えている。
で、爺さんの葬式が終わってしばらく経った頃、姉は小学校に入学し
五歳の私は幼稚園でいじめられたりなんだりで家にいたりいなかったり。
そんなある日、当時の私は夜は母親と一緒に寝ていたのだが
私が夜中に目を覚ますと母がいない、ということが度々起こるようになる。
で、朝に目を覚ますと母はいる。
夜中に目を覚まさなかったときや、目を覚ましてもとにかく眠くてまた寝てしまったときにも
母はいなくなっていたと思うが
母がいない→不安、となったときの私は容赦なく泣き叫んで父や姉を起こした。
17: 名無しさん@HOME: 2012/11/29(木) 18:39:42.28 0 あの時期、父は何を考えていたのだろう。
私が幼稚園でいじめられて登園拒否とかする前、
母はある工場でパートをしていた。
そこで知り合った男が母の浮気相手だった。
私が素直に幼稚園に通っているうちは母は自由な時間が結構取れたと思うのだが
私が登園拒否したりするようになってから
思うように浮気相手に会えなくなったので夜家を抜け出す、ということを始めたのだと思う。
そんなある日、またいつものように夜中に母がいないのに気付いた私は父と姉を起こした。
朝、目が覚めても母はいなかった。
父は、私たち子供に朝食を作って食べさせた後会社に電話を入れ
さらに小学校に電話して姉を休ませて私たちを車に乗せて出掛けた。
18: 名無しさん@HOME: 2012/11/29(木) 18:44:03.48 0 どこに連れてってくれるんだろう、と私たちは呑気に思っていたが
車を運転しながら父は無言だった。
20分ぐらい走った頃だろうか、古びた感じの四階建てぐらいのアパートの前に車を停めた父は
私たちを連れて階段を登り、ある部屋のドアの前に私たちを立たせた。
そしてドアを激しくノックすると、そのまま私たちを置いて走って去ってしまった。
開いたドアから母が出てきた。
22: 名無しさん@HOME: 2012/11/29(木) 18:58:02.07 0 そこからどうなったかよく憶えていない。
父はそれっきり家に帰って来なかったと思う。
その後、姉は祖母の元へ。
私は母と母の浮気相手と一緒に暮らすことになった。
母の浮気相手が祖母と婆さんの所に挨拶に行ったときの記憶があるが
何故か婆さんの方に浮気相手が母との結婚など認めん!などと罵倒されていた。
母の浮気相手は異常な人物だった。
母が不在のときに、姉と私の前で下半身裸になって陰毛が何故生えるのか説明されたり。
あとは、子供に言い聞かせる、ということができないようで
とにかくいきなりパンチが飛んできた。
何年も後になって、あれは私のあの振る舞いに怒っていたんだ、と分かったりしたが
なにしろいつ何時パンチを食らうか分からなかったので私としてはビクビクして過ごすより他なかった。
23: 名無しさん@HOME: 2012/11/29(木) 19:11:12.96 0 私も小学校に入学と同時に祖母の元へ移動。
週末に姉と、もしくは単独で
母と浮気相手の住む家に行ったり行かなかったりの生活だった。
祖母が大好きだった姉はあまり母の元には行きたがらなかったが
多分浮気相手のことも嫌いだったんだろう。
小学校に入って最初の夏休み、姉と私は父の所に行くことになった。
母と三人で生まれて初めて新幹線に乗り、東京へ行き
東京駅で母は私たちを父に引き渡して帰って行った。
当時父は子持ちの女性と再婚していたが
その女性は姉と私にも優しく接してくれた。
父の所に来てから三日ぐらいで姉がホームシックになり送還されたが
私は結局夏休み中ずっと父のところに居た。
8時だヨ!全員集合の公開生放送にも連れてってもらった。
27: 名無しさん@HOME: 2012/11/29(木) 19:22:50.38 0 公開生放送を観る為には午前中から並ばなければならなかった記憶があるが
駄々こねたりして父の再婚相手の女性を困らせてしまった。
今になっても申し訳かったと思っています。
夏休み終了と共に再び新幹線に乗って祖母の住む家に戻った。
それ以来、父には会っていない。
伝え聞いた話によると、詳細は不明だが父は事故を起こしたり
再婚相手と別れたり病気で倒れたりまた再婚したりして
現在は埼玉県某所で店を開いてて健在。
さて、自宅に戻った私ですが
あるとき、小学校に入学して別居するようになってからついぞなかった
母の浮気相手のパンチを久々に私が食らったときに
母と無言パンチャーは大喧嘩に発展し、そのまんま別れたっぽい。
28: 名無しさん@HOME: 2012/11/29(木) 19:35:27.66 0 おそらく母は幼少の頃から祖母と同居している婆さんにネチネチ言われながら育ったのだろう。
だから婆さんと一緒に住むのはどうしても嫌なようだった。
祖母は義理堅かったのか、黙々と婆さんの世話をしながら生活していたが
浮気相手との生活が破局した母は祖母を説き伏せたのか
婆さんを老人ホームに放り込み、祖父の遺した家も処分して余所へ引っ越すことになった。
祖父家は借地に建っていたし、台所は土間で風呂は外にあるなど
古い作りの家だったので大した価値はなかったと思う。
引っ越しと共に転校し、やっと慣れたかなという頃に
母が遊園地に遊びに行こう、と言い出した。
当日、三人で遊園地に行くと見たことのない男がいた。
間もなく、その男と一緒に暮らし始めることとなった。
32: 名無しさん@HOME: 2012/11/29(木) 19:51:35.75 0 一緒に暮らし始めてから半年ぐらいで
その男に連れられてその男の故郷に引っ越すことになってしまった。
北海道根室市。
丁度私が小学校二年から三年に上がる直前の春休みに引っ越した。
共同の玄関で靴を脱いで各々の部屋へ、トイレは共同のものが外にあり風呂はない、
という古い造りの木造アパートだった。
こんな寒い所で冬場に銭湯まで歩くのはイヤだ、となってすぐ引っ越し。
風呂付き一軒家の借家だったが台所の床が明らかに傾斜していた。
このへんまでは母のお相手はまあまあ大人しい男だった。
しかし、地元に戻って飲み歩きを覚えてから雲行きが怪しくなってきた。
48: 名無しさん@HOME: 2012/11/29(木) 22:04:25.63 0 飲むと暴れたり
金が入っても飲み屋のツケ払うとスッテンテンとか。
母祖母相談して男が仕事で留守の間に自家用車で逃げたのは小学校三年の冬休みだった。
釧路からフェリーで東京まで移動すると、
何故か東京で男が待っている。
母が連絡したのかもしれないが、車から発見された可能性もある。
そのまま車で青森まで移動、青函連絡船に乗って函館からまた車で移動で家に連れ戻された。
数日家を空けていたら風呂には氷が張り、
授業で育てていて冬休みで持ち帰っていた水栽培
球根のヒヤシンスは花が咲いた状態で凍り付いていた。
49: 名無しさん@HOME: 2012/11/29(木) 22:05:32.83 0 男は生活態度を改善します!ということで戻ることを了承されたのだが
半年も経つと元の木阿弥。
次の年の秋には逃亡再決行となった。
はるばる地元に戻って借家を借りて住み始めたが
どうも知り合いの伝手で男に発見されてしまったようだ。
その後、どう話が進んだのか知らないが
借家に祖母と姉と私を残して母だけが北海道へ行くことになった。
が、半年ぐらいで男と一緒に戻ってきたと思う。
それからゴタゴタしながらも数年が過ぎる。
この間、ウチは非常に貧乏だった記憶がある。
晩御飯のおかずがサラダだけでサラダでご飯を食べる、とか。
中学校に入ってから知らない間に姉はすっかりおかしくなって
タチの悪い連中とつるむようになっていた。
私が中学校に入学したとき、またしても母は家族を巻き込んで逃亡する。
男に見付からないように、と知り合い等が一切いない場所へ。
車も家に置いたまま列車に乗って移動。
50: 名無しさん@HOME: 2012/11/29(木) 22:06:57.60 0 母は水商売で働き始め、店に手配してもらった賃貸マンションで生活を始めた。
冷蔵庫もなければ自転車もない生活だった。
この頃、母の勤める店に母をいたく気に入っている常連のハゲオヤジがいて
店に来るとき母に花束を持ってきたりしていたらしい。
私としてはあまり気にしていなかったが、母には何か思うところがあったのか
夏休み前にはさらに移動。
縁もゆかりもない場所から前住んでいた所から結構近くに戻ってきた。
そこでも母は水商売で働いていたが、そんな生活に嫌気が差したのか
また反省してるフリだけは上手な酔っぱらい男と暮らすことになってしまった。
逃げる前に住んでいた家に戻る話が出て、姉は仲がいい友達がそちらに居たから戻ったが
私と祖母はしばらくの間それまでいた家に残った。
まあ数ヶ月もすると家計が苦しくなって強制的に戻されてしまったが。
中学三年になっていた姉は珍走と仲間になったり突然家出したりとか
特殊なスキルをこなすようになっていた。
家出した姉を捜してる最中に母が倒れたりしていた記憶がある。
根室出身のアル中男は保護した姉をラブホテルに誘った、とか聞いたのは何年か後のこと。
スポンサーリンク
[ 完結] [ 女性視点] [ 修羅場] [ 浮気] [ 離婚] [ カップル]
当時、私は両親と姉の四人で暮らしていて
列車で30分位離れた所に母方の祖母が住んでいた。
祖母の家には祖母の他に半分寝たきりみたいな婆さんが住んでいて
祖母をこき使っていたが祖母は誰にも愚痴一つこぼさずにその婆さんの言うことを聞いていた。
スポンサーリンク
その婆さんは、祖母の所を訪れた私や姉に
ことあるごとに『あんたらの婆さんは、爺さんを私から盗った』と話した。
そんなことを言われても子供に理解できるような話ではないし
子供の感覚ではそもそも知ったことではないので
その婆さんは私たち子供にとっても母にとってもうっとうしい存在だった。
その昔、昭和十年代と推定されるが
日本海側の雪国の農村から集団就職で祖母は街へ出てきた。
そして住み込みである店で働くこととなった。
その店の主人夫婦には子供が一人いたが、幼少の頃に亡くなった。
それから十数年経った頃に田舎から出てきて店で働き始めた祖母は
主人夫婦の亡くした子供と同い年だった。
祖母は亡くなるまで一切語らなかったのでどういう経緯があったのかは分からない。
だが、祖母の産んだ私たちの母の父親は、この店の主人だった。
妻との間に最初にできた子と同い年の女性に手出すとか
一体どうなんだこの爺さんは。
爺さんは子供ができない嫁を捨てるわけでもなく
そのままなし崩し的に祖母の産んだ母を認知して四人で一緒に暮らしていた。
優柔不断だったんだろか。
祖母は大人しい人だったが、爺さんの嫁は性格きつい人だったので
爺さんも祖母も何でも言いなり状態になってしまっていたのかもしれん。
そんな家庭で母は育ったわけだが
母の男を見る目のなさから想像するに
家庭内での爺さんの父親としての機能は
あまり高かったとは思えない。
その後、母は父と結婚して、姉と私が産まれた。
ある種の専門家で、私たちが住む家にも仕事道具がいっぱいあったし
趣味にも通じる仕事だったので、仕事なのか趣味なのか
家でも押し入れを利用した作業スペースで何やらやっていた父を憶えている。
で、爺さんの葬式が終わってしばらく経った頃、姉は小学校に入学し
五歳の私は幼稚園でいじめられたりなんだりで家にいたりいなかったり。
そんなある日、当時の私は夜は母親と一緒に寝ていたのだが
私が夜中に目を覚ますと母がいない、ということが度々起こるようになる。
で、朝に目を覚ますと母はいる。
夜中に目を覚まさなかったときや、目を覚ましてもとにかく眠くてまた寝てしまったときにも
母はいなくなっていたと思うが
母がいない→不安、となったときの私は容赦なく泣き叫んで父や姉を起こした。
私が幼稚園でいじめられて登園拒否とかする前、
母はある工場でパートをしていた。
そこで知り合った男が母の浮気相手だった。
私が素直に幼稚園に通っているうちは母は自由な時間が結構取れたと思うのだが
私が登園拒否したりするようになってから
思うように浮気相手に会えなくなったので夜家を抜け出す、ということを始めたのだと思う。
そんなある日、またいつものように夜中に母がいないのに気付いた私は父と姉を起こした。
朝、目が覚めても母はいなかった。
父は、私たち子供に朝食を作って食べさせた後会社に電話を入れ
さらに小学校に電話して姉を休ませて私たちを車に乗せて出掛けた。
車を運転しながら父は無言だった。
20分ぐらい走った頃だろうか、古びた感じの四階建てぐらいのアパートの前に車を停めた父は
私たちを連れて階段を登り、ある部屋のドアの前に私たちを立たせた。
そしてドアを激しくノックすると、そのまま私たちを置いて走って去ってしまった。
開いたドアから母が出てきた。
父はそれっきり家に帰って来なかったと思う。
その後、姉は祖母の元へ。
私は母と母の浮気相手と一緒に暮らすことになった。
母の浮気相手が祖母と婆さんの所に挨拶に行ったときの記憶があるが
何故か婆さんの方に浮気相手が母との結婚など認めん!などと罵倒されていた。
母の浮気相手は異常な人物だった。
母が不在のときに、姉と私の前で下半身裸になって陰毛が何故生えるのか説明されたり。
あとは、子供に言い聞かせる、ということができないようで
とにかくいきなりパンチが飛んできた。
何年も後になって、あれは私のあの振る舞いに怒っていたんだ、と分かったりしたが
なにしろいつ何時パンチを食らうか分からなかったので私としてはビクビクして過ごすより他なかった。
週末に姉と、もしくは単独で
母と浮気相手の住む家に行ったり行かなかったりの生活だった。
祖母が大好きだった姉はあまり母の元には行きたがらなかったが
多分浮気相手のことも嫌いだったんだろう。
小学校に入って最初の夏休み、姉と私は父の所に行くことになった。
母と三人で生まれて初めて新幹線に乗り、東京へ行き
東京駅で母は私たちを父に引き渡して帰って行った。
当時父は子持ちの女性と再婚していたが
その女性は姉と私にも優しく接してくれた。
父の所に来てから三日ぐらいで姉がホームシックになり送還されたが
私は結局夏休み中ずっと父のところに居た。
8時だヨ!全員集合の公開生放送にも連れてってもらった。
駄々こねたりして父の再婚相手の女性を困らせてしまった。
今になっても申し訳かったと思っています。
夏休み終了と共に再び新幹線に乗って祖母の住む家に戻った。
それ以来、父には会っていない。
伝え聞いた話によると、詳細は不明だが父は事故を起こしたり
再婚相手と別れたり病気で倒れたりまた再婚したりして
現在は埼玉県某所で店を開いてて健在。
さて、自宅に戻った私ですが
あるとき、小学校に入学して別居するようになってからついぞなかった
母の浮気相手のパンチを久々に私が食らったときに
母と無言パンチャーは大喧嘩に発展し、そのまんま別れたっぽい。
だから婆さんと一緒に住むのはどうしても嫌なようだった。
祖母は義理堅かったのか、黙々と婆さんの世話をしながら生活していたが
浮気相手との生活が破局した母は祖母を説き伏せたのか
婆さんを老人ホームに放り込み、祖父の遺した家も処分して余所へ引っ越すことになった。
祖父家は借地に建っていたし、台所は土間で風呂は外にあるなど
古い作りの家だったので大した価値はなかったと思う。
引っ越しと共に転校し、やっと慣れたかなという頃に
母が遊園地に遊びに行こう、と言い出した。
当日、三人で遊園地に行くと見たことのない男がいた。
間もなく、その男と一緒に暮らし始めることとなった。
その男に連れられてその男の故郷に引っ越すことになってしまった。
北海道根室市。
丁度私が小学校二年から三年に上がる直前の春休みに引っ越した。
共同の玄関で靴を脱いで各々の部屋へ、トイレは共同のものが外にあり風呂はない、
という古い造りの木造アパートだった。
こんな寒い所で冬場に銭湯まで歩くのはイヤだ、となってすぐ引っ越し。
風呂付き一軒家の借家だったが台所の床が明らかに傾斜していた。
このへんまでは母のお相手はまあまあ大人しい男だった。
しかし、地元に戻って飲み歩きを覚えてから雲行きが怪しくなってきた。
金が入っても飲み屋のツケ払うとスッテンテンとか。
母祖母相談して男が仕事で留守の間に自家用車で逃げたのは小学校三年の冬休みだった。
釧路からフェリーで東京まで移動すると、
何故か東京で男が待っている。
母が連絡したのかもしれないが、車から発見された可能性もある。
そのまま車で青森まで移動、青函連絡船に乗って函館からまた車で移動で家に連れ戻された。
数日家を空けていたら風呂には氷が張り、
授業で育てていて冬休みで持ち帰っていた水栽培
球根のヒヤシンスは花が咲いた状態で凍り付いていた。
半年も経つと元の木阿弥。
次の年の秋には逃亡再決行となった。
はるばる地元に戻って借家を借りて住み始めたが
どうも知り合いの伝手で男に発見されてしまったようだ。
その後、どう話が進んだのか知らないが
借家に祖母と姉と私を残して母だけが北海道へ行くことになった。
が、半年ぐらいで男と一緒に戻ってきたと思う。
それからゴタゴタしながらも数年が過ぎる。
この間、ウチは非常に貧乏だった記憶がある。
晩御飯のおかずがサラダだけでサラダでご飯を食べる、とか。
中学校に入ってから知らない間に姉はすっかりおかしくなって
タチの悪い連中とつるむようになっていた。
私が中学校に入学したとき、またしても母は家族を巻き込んで逃亡する。
男に見付からないように、と知り合い等が一切いない場所へ。
車も家に置いたまま列車に乗って移動。
冷蔵庫もなければ自転車もない生活だった。
この頃、母の勤める店に母をいたく気に入っている常連のハゲオヤジがいて
店に来るとき母に花束を持ってきたりしていたらしい。
私としてはあまり気にしていなかったが、母には何か思うところがあったのか
夏休み前にはさらに移動。
縁もゆかりもない場所から前住んでいた所から結構近くに戻ってきた。
そこでも母は水商売で働いていたが、そんな生活に嫌気が差したのか
また反省してるフリだけは上手な酔っぱらい男と暮らすことになってしまった。
逃げる前に住んでいた家に戻る話が出て、姉は仲がいい友達がそちらに居たから戻ったが
私と祖母はしばらくの間それまでいた家に残った。
まあ数ヶ月もすると家計が苦しくなって強制的に戻されてしまったが。
中学三年になっていた姉は珍走と仲間になったり突然家出したりとか
特殊なスキルをこなすようになっていた。
家出した姉を捜してる最中に母が倒れたりしていた記憶がある。
根室出身のアル中男は保護した姉をラブホテルに誘った、とか聞いたのは何年か後のこと。
スポンサーリンク
- この記事を読んだ人はこちらの記事も読んでいます
-
- イケメンA男の買い物が終わるまでコンビニの前で待っていたら突然後ろからすごい衝撃が来て私は倒された!振り返るとそこには可愛い女の子が私を鬼の形相で睨みつけていた! 後編
- 出張先なのに嫁が見知らぬ男と一緒に歩いている・・・ 前編
- 【大長編8/8】嫁が泣きながら珍しく朝帰り。なんとか話を聞きだしたら…嫁、妊娠してた。もちろん俺の子じゃない。でも産みたいらしい。こんなバカとは思わなかったよ・・・
- 私の浮気が原因で夫が家を出ていきました。浮気相手は旦那の連れ子の大学生です
- 【大長編6/8】私「私のお金盗った?!」夫『生活して足りなくなったから借りた』私「(月15万も自由なお金あるのに…怪しい)」→夫の携帯と財布を調べてみると・・・
- 昔した浮気が娘にばれ、「離婚しろ出て行け」と責めたてられている 後編
- 【GJ!】間男「もし現場を見られても俺が襲ったことにして旦那をボコるよw」 嫁「マジ!カッコイイ!抱いて!」 → 本当に俺が現場に凸った結果wwwwwwwww
- 長期出張中なんだけど、嫁が「帰ってこなくてもいい」と言ったり、留守にしていることが多くなった・・・もしかして・・・ 前編
- 【後編】「金金金!お前はそればっかりだ!!」と喚く夫を見て冷めてしまった。私の敵はトメだけじゃなかったんだ。
- 母親がパチンカスでサイマーだった!私の給料を勝手に使ったり、私の名前を使って借金をしまくったり、お金のことで私達家族を振り回して・・・