「愛と欲望の劇場-浮気・不倫・離婚2chまとめブログ-」はその名の通り、浮気・不倫・離婚についてまとめた2chまとめブログです。
2chの家庭板や浮気・不倫板を中心に様々な板からカップルの浮気や夫婦の不倫・離婚騒動はもちろんのこと、修羅場や武勇伝、復讐など人間の愛と欲望渦巻くあらゆる話を掲載しています。
今後あなたの身に起こるかも知れない男女間のトラブルを赤裸々に告白したものとなっております。
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2015/08/13 22:34
[ 完結] [ 女性視点] [ 修羅場] [ キチ] [ 衝撃] [ 宗教] [ 洗脳] [ 壮絶]
元スレ:気づいたら洗脳されていた
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news4viptasu/1321589870/
587: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/24(木) 21:49:08.07 ID:ORMJr7sa0
当時、私を一番支えてくれたのは、紛れもなく両親だった。
最初の方こそ、戸惑いも多くあっただろうけど、それでも根気よく私の世話をしてくれた。
一人で寝ることのできない私の隣で寝てくれたり、
パニック発作を起こすと背中をさすってくれたりした。
588: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/24(木) 21:51:33.88 ID:ORMJr7sa0
また、私が家族以外の人と会おうとしない姿を見て、犬を飼ってくれた。
私が近所の犬と仲良くなったことを、興奮して話したせいもあったのかもしれない。
生まれたての赤ちゃんを、ブリーダーさんの家まで見に行った。
6匹の子犬の中から、1匹、選んだ。
母は、どれも一緒みたいで分からないと言ったけど、
私にとってはその子が特別可愛く見えた。
593: 名も無き被検体774号+: 2011/11/25(金) 08:04:31.58 ID:6P0O8BTb0 追いついた
これは良スレだね、頑張って書き上げて!
594: 名も無き被検体774号+: 2011/11/25(金) 10:31:58.95 ID:DitIFhxR0 宗教なんて、支配者の都合のいいように構成されたイジメコミユニティだよな
601: 名も無き被検体774号+: 2011/11/26(土) 12:15:59.37 ID:EN/IoK3EO 数日ぶりの2ちゃんだけど、まず最初にここに来ました!やっぱり人に気持ちを伝えること、打ち明けることって大切だ。勇気がいるけどね!
602: 名も無き被検体774号+: 2011/11/26(土) 13:14:16.98 ID:wGrp3c8e0 やっと追いついた!壮絶な人生だ…
人にもよるんだろうけど、私は宗教に嫌悪感しかないな(´・_・`)
603: 名も無き被検体774号+: 2011/11/26(土) 14:00:42.64 ID:wA4/Rz1jO やっと追いついた
私の両親も、私が生まれる少し前から現在も宗教にどっぷりです
もちろん私を含めた子供への教育は宗教中心
今は私だけ宗教から距離を置きましたが、自分の力だけでは異常さに気づけなかったと思います
刷り込みは本当に苦しいし恐ろしいですね
夕子さんが幸せなら、なんだか救われます
604: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/26(土) 14:01:14.94 ID:UOYPH/Kd0 こんにちは
レスくださったみなさま、ありがとうございます
もう書き始めて1週間になりますが、
最後までお付き合いしていただけたら嬉しいです
>>594
私自身は宗教全てを否定するわけではありませんが、
熱狂的すぎるところは、権利者に人生を振り回されてしまいますよね
>>601
最初に~と言っていただけて、ちょっと照れくさいですw
人に自分の気持ちを打ち明けるって、最初は勇気がいるけれど、
それで助けられたり、学んだり、逆に気持ちを打ち明けてもらったり・・・
人間関係も捨てたものじゃないなって思います
>>602
読んでくださってありがとうございます
日本は宗教国家ではないので、宗教って印象良くないですよね
今普通に生きてて幸せなら、それがいいなって思います
605: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/26(土) 14:09:03.88 ID:UOYPH/Kd0 >>603
そうだったんですね、宗教の刷り込み教育は本当に辛いですよね
何が一番怖いかって、親は、正しいことをしている・子供の幸せのために、
と思い込んでやっていることですね
親を大切にする=宗教を大切にする、の公式が成り立ってしまっていると、
実際に社会の軋轢で苦しい思いをしても、親を捨てられない・・・となってしまいますよね
相当大変だったと思います
これから自立編を、少しずつ書いていきますのでよかったら読んでいってください
606: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/26(土) 14:13:32.19 ID:UOYPH/Kd0
名前は、私がつけることになった。
外に出られない私の代わりに、自由に、風のように生きてほしいという意味を込めて、
風太と名づけた。(実際は、風という意味の外国名)
家に帰って、風太のために小屋やエサ鉢、ぬいぐるみなどを買った。
607: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/26(土) 14:16:43.39 ID:UOYPH/Kd0
ヒャダインのはじめてのともだち、という歌がある。
私はあの曲を、ずっと後に知ることになるのだけれど、
初めて聞いた時に泣いてしまった。
本当に、風太のことを思い出すような曲だったから。
608: 名も無き被検体774号+: 2011/11/26(土) 14:35:44.35 ID:vGWPElhVO これか
はじめてのともだち
http://www.youtube.com/watch?v=0TAIH_DQ50A
これは泣けるな
609: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/26(土) 14:38:16.79 ID:UOYPH/Kd0
風太が家に来て、私は外によく出るようになった。
まだ小さくて、あまり遠くまで歩けない風太を抱っこして、
よく近所を散歩した。
知らないおばさんや子供に話しかけられることもあって、
緊張したけれど、風太が私の胸元で温かかったから、安心できた。
611: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/26(土) 14:39:52.30 ID:UOYPH/Kd0
私はひざの中に風太を入れては、パソコンをしたり、
鬼ごっこをしたり、ぬいぐるみを投げては取って来いをさせたり。
お手やお座りも覚えさせた。
本当に、風太の存在が慰めになっていた。
まあ、子供返りした私にとっては、両親の関心が風太に大きく取られてしまって、
やきもちを妬いたりすることもあったのだけれど。
612: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/26(土) 15:46:16.94 ID:UOYPH/Kd0
同じ頃、もうひとつの出会いがあった。
それは、ネットで知り合ったケイという子だった。
チャットで他にも知り合いは多かったけれど、特にその子は私に親身になってくれた。
私は「友達には怖くて会えないけど、ケイになら会えるかもしれない」と思った。
そうして、ある日私の両親から許可がおりて、その子は私の家に遊びに来た。
613: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/26(土) 15:46:48.27 ID:UOYPH/Kd0
ケイには、精神が子供のままで止まってしまった兄弟がいたため、
子どものような私が相手でも、扱いには慣れているみたいだった。
親も含めて、色んなところに行った。
行ける部分は限られていたけれど、それでも少しずつ足を伸ばして行った。
初めてデパートに行ってもパニック発作を起こさなかった。
当時の記憶はなんだか、ぼんやりしているところが多いのだけれど、
とても良くしてくれたのだった。
614: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/26(土) 15:47:18.25 ID:UOYPH/Kd0
行ける部分は限られていたけれど、それでも少しずつ足を伸ばして行った。
初めてデパートに行ってもパニック発作を起こさなかった。
当時の記憶はなんだか、ぼんやりしているところが多いのだけれど、
とても良くしてくれたのは覚えている。
615: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/26(土) 15:47:36.24 ID:UOYPH/Kd0
また、ケイと一緒に、高校時代の友人に会うこともできた。
これが、実家に帰って初めての、周囲の友人と会う機会になった。
これをきっかけに、私は少しずつSNSで再会を果たした友達と会っていくことになる。
夏の終わり、私はこうして、対人恐怖症からの脱出の糸口を見つけた。
ケイには、もう会わなくなったけれど、今でも心から感謝している。
616: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/26(土) 15:48:33.35 ID:UOYPH/Kd0
両親とは、少しずつ会話が増えていった。
最初の方こそ、病気の私に戸惑っていたものの、親身に話を聞くようになってくれた。
私は、幼少期からそれまでの間、自分が宗教を理由に遭ってきた嫌な記憶を話すようになった。
そうして、それを聞いて理解してもらうことで、徐々に信頼関係が回復していったように思う。
617: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/26(土) 15:50:44.29 ID:UOYPH/Kd0
兄達は、遠巻きながらに私を見守ってくれた。
長兄は、私には直接言わないものの、陰でよく「夕子は大丈夫か」と心配してくれたようだし、
離れて住んでいた次兄には、よく子供のような内容の手紙を書いて、出すようになっていた。
後日、次兄が引越しをする際に、私が出した手紙が全部取ってあったと聞いて、
心がほっこりした。
618: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/26(土) 15:52:01.97 ID:UOYPH/Kd0
当時の一日の生活は、ほとんどが睡眠に費やされた。
一日の内、18時間くらいは寝ていたのではないかと思う。
薬のせいもあるのだけれど、睡眠は病気の私にとって必要なことだったのだろう。
体力はほとんどなく、お風呂に入って髪を洗うだけでも、
ぐったりして何も出来なくなるだった。
また、私は熱ばかり出していたので、冷えピタを常用していた。
619: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/26(土) 15:53:36.19 ID:UOYPH/Kd0
別居を開始してしばらく経ち、まく吉以外の人たちとの絆が深まると、
私のまく吉への執着は徐々に薄れていった。
まく吉のことは、私にとって、けしていい思い出ではなくなり、
今でも大切に思いたい気持ちと、もう縁を切りたい、と思う気持ちが混在するようになっていった。
620: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/26(土) 15:54:58.74 ID:UOYPH/Kd0
それでも、私の信じていた宗教では、離婚はご法度だったため、
離婚はしない、いつか元気になったらまく吉と暮らす、と考えていた。
また再び、宗教の集会に参加もしたが、
離婚が暗黙上認められていなかったので、別居している私に、
「よくそんな状態で来られるよね」と言われたこともあった。
621: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/26(土) 15:57:10.47 ID:UOYPH/Kd0
言われた直後は、私も薬でぼんやりしていたので特に強いショックはなかったのだけれど、
それはじわじわと私の中で痛みになっていった。
冬になる頃、私は一旦は離婚を願ったのだが、周囲の人は「まだ早い」と言った。
病気で私の判断力は著しく低下していたため、そのような大きな決断は、
もっと良くなってから、と言い聞かされていた。
実際私は感情のふり幅が激しくて、離婚したいと決意した数時間後には、
私はまく吉なしでは生きていけない、と思ったりした。
622: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/26(土) 15:58:13.36 ID:UOYPH/Kd0 出かけるので、今日はここまでにします
みなさま、本当に優しいレスをありがとうございました
623: 名も無き被検体774号+: 2011/11/26(土) 16:17:11.13 ID:vGWPElhVO 兄ちゃんいいな
627: 名も無き被検体774号+: 2011/11/27(日) 12:09:35.76 ID:Jo7cdCbl0 まく吉は夕子の両親に400万返す事になってる?
632: 名も無き被検体774号+: 2011/11/28(月) 16:30:09.06 ID:3+65GY50O 良スレ発見!文章に引き込まれるぅぅー夕子しゃん今後の展開楽しみにしてます
633: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 17:29:27.75 ID:Cc+70Ef90 こんばんは
>>623
兄のことは好きですよ~
>>627
結局その後、400万円のうち200万円はまく吉母が返してくれました。
まく吉母は、1千万円ほど持ってまく吉から離れたことが、
あとで通帳の写しが発見されたことにより分かったので、、
残りの200万は、まく吉に仕事が見つかった後、
父が月1万ずつ返してもらうよう催促してましたが、今はどうなってるか詳しく知りません
634: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 17:32:41.30 ID:Cc+70Ef90 >>632
温かいレスどうもです、あと少し良ければお付き合いくださいね
それでは、今日も続きを始めようと思います
今日は寒いですが、みなさん風邪をひかないように温かくしてくださいね
635: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 17:40:06.84 ID:Cc+70Ef90
同時期、月に1回程度だが、色んな友達と再会していった。
みんな、温かく私との再会を迎えてくれた。
当時の私は、見た目も普通と違っていたのだと思うのだけれど、
それでも気にせず一緒に映画を見たり、服を選んでくれたりしてくれたのだ。
本当に良い友人に恵まれて、感謝している。
636: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 17:40:35.89 ID:Cc+70Ef90
ケイは、特に私を支えてくれて、親友だよ、と言ってくれた。
遠方に住んでいるため、実際に会ったのは数回だけれど、
ネット上で私の負の部分を、根気よく引き受けてくれた。
今思うと、こっちの都合でいつも構ってと呼び出していたし、心底申し訳なかったと思う。
その年の冬休みにも、ケイは私の実家に来て、
私を遊びに連れて行ってくれた。
ちなみに、ケイにはよく、「夕子は悲劇のヒロインぶってる」とからかわれた。
私は不安障害という病状があって、将来のことをネガティブに想像しては、
妄想のようなそれを話していたから。
637: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 17:42:20.65 ID:Cc+70Ef90
当時、ケイが言ってくれた言葉がチャットログに残っていたので、少しだけ載せてみる。
K:勝手になんか想像しないで
K:今だけ見て
K:ゆっくり病気治すといいよ^^
K:あせらなくても
K:ずっと離れないから
K:ね
ケイはとても優しく、私は慕っていた。
だけれど、同時にカウンセリングの中で、
自分がケイに依存しているという自覚も生まれていた。
カウンセラーは、
「それは共依存、まく吉の代わりにしてるだけ。
連絡を絶たないと、いつまで経っても回復しない」
と言った。
638: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 17:50:39.76 ID:Cc+70Ef90
先生には再三そう言われたけれど、なかなか実行には移せなかった。
「連絡を絶とう」、と何度も伝えては、結局出来なくて連絡をする始末。
本当に振り回してしまった。
カウンセラーのことを、「なんでそんな冷たいこと言うの?」と恨めしく思ったこともある。
「ケイがいてくれるから、私は孤独じゃないのに・・・」、と。
カウンセリングをボイコットすることもあった。
639: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 17:50:56.77 ID:Cc+70Ef90
だけど私にとっては、カウンセラーもずっと診てくれていた恩人だったので、
ないがしろにすることも出来なかった。
そして、彼の話が正しいこともなんとなくは分かっていたのだけれど、
いざそうなると、私は「いやだ、誰かそばにいないと、耐えられない」と拒否していた。
本当に依存症というのは、中毒のようなもので、
そこから抜け出すのは、かなりの月日が必要だった。
640: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 17:57:13.68 ID:Cc+70Ef90
そうこうして、心中から1年が経ち、友人と遊ぶことも出来るようになった私に、
両親は、働くことを勧めてきた。
携帯もほしかったら、自分で稼いで買えとのことだった。
そこで初めてハローワークに行き、母と一緒に仕事を探した。
私は本当に体力がなかったため、そこで選んだ仕事は、
1日5時間、週に1度だけのバイトだった。
仕事内容は、単純な棚卸し作業だった。
641: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 17:58:14.02 ID:Cc+70Ef90
だけれど、友達に会った日は神経が興奮して眠れない、
翌日疲れて熱を出してしまうような私にとって、
その簡単な作業が、苦痛で仕方なかった。
5時間、立ったりしゃがんだりするその仕事が、
私にとってはかなりの肉体労働だったのだ。
642: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 17:58:28.21 ID:Cc+70Ef90
翌日は泥のように眠り、発熱し、次の仕事まで1週間かけて体調を整える。
そんな毎日だった。
それでも負けたくなかった。何に、と言われたら自分に、だろうか。
両親の期待にも答えたかったのもあるが、私自身が、
早く普通の社会人になりたいと焦っていた。
643: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 18:06:41.75 ID:Cc+70Ef90
働き始めて、数ヶ月、さらに私は職場の人間関係でも悩むようになっていた。
そこの職場は、ほとんどがおばさん達だったのだけれど、
私が既婚なのに別居中ということを知ると、詳しい話を聞きたがった。
自分の家族の自慢や、噂話、それらを話す中で、私の身の上話も聞きたがる。
私は、出来る限り会話するのを避けていたが、だんだん嫌気がさしていった。
644: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 18:07:51.02 ID:Cc+70Ef90
そうして初夏の頃、私の家に、次兄が問題を起こして帰ってくる。
兄は、警察にお世話になるようなことも色々やらかしていたのだけれど、
その時は失踪という形を取って、実家にやってきた。
私は次兄が好きだったので喜んだけれど、問題を抱えての帰郷だったため、
家の中に不協和音が広がっていた。
兄宛にかかってくる怖い電話が鳴るたびに、私は怯えて、
だけどここで私が弱ってしまったら、兄が家に居づらくなると思って我慢した。
645: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 18:08:28.48 ID:Cc+70Ef90
でも私には、昔のような忍耐力はなくなっていた。
すぐに限界がきて、それらが積み重なって爆発し、
結局、自分が家を出て行くことに決めた。
だが、家を出るところを捕まえられて、初めて救急車に乗せられた。
普段とは違う精神病院に連れられて、医者に怒られてしまった。
646: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 18:09:01.13 ID:Cc+70Ef90
ちなみに、それ以前にも私は家出試みたことがあったから、親が危惧したのだと思う。
次兄はそんな私の様子を見て、自分がここにいたら病気が悪くなると感じたのだろう、
実家を離れて帰っていった。私のせいで申し訳なかったな、と思う。
そんなわけで、次兄がいなくなった後、私はそれまで耐えていた仕事も辞めてしまった。
なかなか思うように回復しない自分の心身に、うんざりしていた。
647: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 18:22:33.24 ID:Cc+70Ef90
また、その頃、まく吉と完全に連絡を絶ってから1年が経過していた。
1年経ってもまだ、私の中には義理人情というか依存心というか、
まく吉を慕う思いが残留していた。
だけれど、同時に憎しみも深く芽生えるようになってきていて、困惑していた。
あんなに愛した相手のはずなのに、まく吉が憎い。
いつかまく吉の元に戻って、一緒に生活を立て直すつもりだったのに、
それに対して拒否反応が起きる。
648: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 18:22:58.62 ID:Cc+70Ef90
まく吉と出会わなかったら、私はこんな辛い目に遭わなかったのに、
そんな意識が頭をもたげてきたのだ。
一度こっそり市役所に行って、離婚届を取ってきたこともあった。
親に訴えたものの、医者の判断で却下されてしまった。
649: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 18:26:08.48 ID:Cc+70Ef90
私はその頃、焦燥感でいっぱいだった。
なにもかもが、中途半端で、一向に前進している気がしない。
「慌てないでいいよ」という親や周りの言葉はありがたかったが、
同時に、「やっぱり仕事ダメだったか・・・」と落胆した父の姿も目の端に映った。
650: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 18:26:28.46 ID:Cc+70Ef90
友達が雲の上のような存在に見えた。
みんな仕事をきちんとこなして、旅行に行ったり遊びに行ったり、素敵な恋愛をしたり。
お金に惜しみなく食べたいものを食べて、車を運転し、ショッピングを楽しむ。
親に週1度の仕事を送迎してもらって、なんとか行き、
それすらも辞めてしまった私には、みんながうらやましかった。
早く大人になりたい子供のように、早く健常な社会人になりたかった。
651: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 18:26:46.84 ID:Cc+70Ef90
だけど精神も体も、思うようには動かない。
ゆっくりとしか、治っていかない。
焦っては、転んで、立ち上がっての繰り返しだった。
652: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 18:39:55.81 ID:Cc+70Ef90 夕食食べてきますー
今頭痛がするので、続き書けるか分かりませんが、
書けたら載せますね
653: 名も無き被検体774号+: 2011/11/28(月) 19:11:06.87 ID:w7yNgziW0 お疲れ~
確実に気持ちの面とかで少しずつ前へは進んでいってるよね
過去の話だから応援しても意味ないけど、頑張れ~
654: 名も無き被検体774号+: 2011/11/28(月) 19:12:40.94 ID:s16vqtEwi いってらっしゃいー!
体調の良い時でいいよー。まってます!
655: 夕子 ◆UL6c7.AL3TJI : 2011/11/28(月) 20:10:42.62 ID:Cc+70Ef90 >>653
ありがとうございます
今もまだ完全には良くなっていないので、
応援、嬉しいですよー
>>654
優しい言葉ありがとです
書いてたら頭フワフワしてきたので、ちょっとだけ載せて今日はおしまいにします
23:04更新【大長編9/11】ある宗教の人生相談サイトで『悩んでいる人メールしませんか?』という投稿に、私「悩んでる人の力になりたい!」→メアドを載せたら人生が崩壊した・・・へ続く
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当時、私を一番支えてくれたのは、紛れもなく両親だった。
最初の方こそ、戸惑いも多くあっただろうけど、それでも根気よく私の世話をしてくれた。
一人で寝ることのできない私の隣で寝てくれたり、
パニック発作を起こすと背中をさすってくれたりした。
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また、私が家族以外の人と会おうとしない姿を見て、犬を飼ってくれた。
私が近所の犬と仲良くなったことを、興奮して話したせいもあったのかもしれない。
生まれたての赤ちゃんを、ブリーダーさんの家まで見に行った。
6匹の子犬の中から、1匹、選んだ。
母は、どれも一緒みたいで分からないと言ったけど、
私にとってはその子が特別可愛く見えた。
これは良スレだね、頑張って書き上げて!
人にもよるんだろうけど、私は宗教に嫌悪感しかないな(´・_・`)
私の両親も、私が生まれる少し前から現在も宗教にどっぷりです
もちろん私を含めた子供への教育は宗教中心
今は私だけ宗教から距離を置きましたが、自分の力だけでは異常さに気づけなかったと思います
刷り込みは本当に苦しいし恐ろしいですね
夕子さんが幸せなら、なんだか救われます
レスくださったみなさま、ありがとうございます
もう書き始めて1週間になりますが、
最後までお付き合いしていただけたら嬉しいです
>>594
私自身は宗教全てを否定するわけではありませんが、
熱狂的すぎるところは、権利者に人生を振り回されてしまいますよね
>>601
最初に~と言っていただけて、ちょっと照れくさいですw
人に自分の気持ちを打ち明けるって、最初は勇気がいるけれど、
それで助けられたり、学んだり、逆に気持ちを打ち明けてもらったり・・・
人間関係も捨てたものじゃないなって思います
>>602
読んでくださってありがとうございます
日本は宗教国家ではないので、宗教って印象良くないですよね
今普通に生きてて幸せなら、それがいいなって思います
そうだったんですね、宗教の刷り込み教育は本当に辛いですよね
何が一番怖いかって、親は、正しいことをしている・子供の幸せのために、
と思い込んでやっていることですね
親を大切にする=宗教を大切にする、の公式が成り立ってしまっていると、
実際に社会の軋轢で苦しい思いをしても、親を捨てられない・・・となってしまいますよね
相当大変だったと思います
これから自立編を、少しずつ書いていきますのでよかったら読んでいってください
名前は、私がつけることになった。
外に出られない私の代わりに、自由に、風のように生きてほしいという意味を込めて、
風太と名づけた。(実際は、風という意味の外国名)
家に帰って、風太のために小屋やエサ鉢、ぬいぐるみなどを買った。
ヒャダインのはじめてのともだち、という歌がある。
私はあの曲を、ずっと後に知ることになるのだけれど、
初めて聞いた時に泣いてしまった。
本当に、風太のことを思い出すような曲だったから。
はじめてのともだち
http://www.youtube.com/watch?v=0TAIH_DQ50A
これは泣けるな
風太が家に来て、私は外によく出るようになった。
まだ小さくて、あまり遠くまで歩けない風太を抱っこして、
よく近所を散歩した。
知らないおばさんや子供に話しかけられることもあって、
緊張したけれど、風太が私の胸元で温かかったから、安心できた。
私はひざの中に風太を入れては、パソコンをしたり、
鬼ごっこをしたり、ぬいぐるみを投げては取って来いをさせたり。
お手やお座りも覚えさせた。
本当に、風太の存在が慰めになっていた。
まあ、子供返りした私にとっては、両親の関心が風太に大きく取られてしまって、
やきもちを妬いたりすることもあったのだけれど。
同じ頃、もうひとつの出会いがあった。
それは、ネットで知り合ったケイという子だった。
チャットで他にも知り合いは多かったけれど、特にその子は私に親身になってくれた。
私は「友達には怖くて会えないけど、ケイになら会えるかもしれない」と思った。
そうして、ある日私の両親から許可がおりて、その子は私の家に遊びに来た。
ケイには、精神が子供のままで止まってしまった兄弟がいたため、
子どものような私が相手でも、扱いには慣れているみたいだった。
親も含めて、色んなところに行った。
行ける部分は限られていたけれど、それでも少しずつ足を伸ばして行った。
初めてデパートに行ってもパニック発作を起こさなかった。
当時の記憶はなんだか、ぼんやりしているところが多いのだけれど、
とても良くしてくれたのだった。
行ける部分は限られていたけれど、それでも少しずつ足を伸ばして行った。
初めてデパートに行ってもパニック発作を起こさなかった。
当時の記憶はなんだか、ぼんやりしているところが多いのだけれど、
とても良くしてくれたのは覚えている。
また、ケイと一緒に、高校時代の友人に会うこともできた。
これが、実家に帰って初めての、周囲の友人と会う機会になった。
これをきっかけに、私は少しずつSNSで再会を果たした友達と会っていくことになる。
夏の終わり、私はこうして、対人恐怖症からの脱出の糸口を見つけた。
ケイには、もう会わなくなったけれど、今でも心から感謝している。
両親とは、少しずつ会話が増えていった。
最初の方こそ、病気の私に戸惑っていたものの、親身に話を聞くようになってくれた。
私は、幼少期からそれまでの間、自分が宗教を理由に遭ってきた嫌な記憶を話すようになった。
そうして、それを聞いて理解してもらうことで、徐々に信頼関係が回復していったように思う。
兄達は、遠巻きながらに私を見守ってくれた。
長兄は、私には直接言わないものの、陰でよく「夕子は大丈夫か」と心配してくれたようだし、
離れて住んでいた次兄には、よく子供のような内容の手紙を書いて、出すようになっていた。
後日、次兄が引越しをする際に、私が出した手紙が全部取ってあったと聞いて、
心がほっこりした。
当時の一日の生活は、ほとんどが睡眠に費やされた。
一日の内、18時間くらいは寝ていたのではないかと思う。
薬のせいもあるのだけれど、睡眠は病気の私にとって必要なことだったのだろう。
体力はほとんどなく、お風呂に入って髪を洗うだけでも、
ぐったりして何も出来なくなるだった。
また、私は熱ばかり出していたので、冷えピタを常用していた。
別居を開始してしばらく経ち、まく吉以外の人たちとの絆が深まると、
私のまく吉への執着は徐々に薄れていった。
まく吉のことは、私にとって、けしていい思い出ではなくなり、
今でも大切に思いたい気持ちと、もう縁を切りたい、と思う気持ちが混在するようになっていった。
それでも、私の信じていた宗教では、離婚はご法度だったため、
離婚はしない、いつか元気になったらまく吉と暮らす、と考えていた。
また再び、宗教の集会に参加もしたが、
離婚が暗黙上認められていなかったので、別居している私に、
「よくそんな状態で来られるよね」と言われたこともあった。
言われた直後は、私も薬でぼんやりしていたので特に強いショックはなかったのだけれど、
それはじわじわと私の中で痛みになっていった。
冬になる頃、私は一旦は離婚を願ったのだが、周囲の人は「まだ早い」と言った。
病気で私の判断力は著しく低下していたため、そのような大きな決断は、
もっと良くなってから、と言い聞かされていた。
実際私は感情のふり幅が激しくて、離婚したいと決意した数時間後には、
私はまく吉なしでは生きていけない、と思ったりした。
みなさま、本当に優しいレスをありがとうございました
>>623
兄のことは好きですよ~
>>627
結局その後、400万円のうち200万円はまく吉母が返してくれました。
まく吉母は、1千万円ほど持ってまく吉から離れたことが、
あとで通帳の写しが発見されたことにより分かったので、、
残りの200万は、まく吉に仕事が見つかった後、
父が月1万ずつ返してもらうよう催促してましたが、今はどうなってるか詳しく知りません
温かいレスどうもです、あと少し良ければお付き合いくださいね
それでは、今日も続きを始めようと思います
今日は寒いですが、みなさん風邪をひかないように温かくしてくださいね
同時期、月に1回程度だが、色んな友達と再会していった。
みんな、温かく私との再会を迎えてくれた。
当時の私は、見た目も普通と違っていたのだと思うのだけれど、
それでも気にせず一緒に映画を見たり、服を選んでくれたりしてくれたのだ。
本当に良い友人に恵まれて、感謝している。
ケイは、特に私を支えてくれて、親友だよ、と言ってくれた。
遠方に住んでいるため、実際に会ったのは数回だけれど、
ネット上で私の負の部分を、根気よく引き受けてくれた。
今思うと、こっちの都合でいつも構ってと呼び出していたし、心底申し訳なかったと思う。
その年の冬休みにも、ケイは私の実家に来て、
私を遊びに連れて行ってくれた。
ちなみに、ケイにはよく、「夕子は悲劇のヒロインぶってる」とからかわれた。
私は不安障害という病状があって、将来のことをネガティブに想像しては、
妄想のようなそれを話していたから。
当時、ケイが言ってくれた言葉がチャットログに残っていたので、少しだけ載せてみる。
K:勝手になんか想像しないで
K:今だけ見て
K:ゆっくり病気治すといいよ^^
K:あせらなくても
K:ずっと離れないから
K:ね
ケイはとても優しく、私は慕っていた。
だけれど、同時にカウンセリングの中で、
自分がケイに依存しているという自覚も生まれていた。
カウンセラーは、
「それは共依存、まく吉の代わりにしてるだけ。
連絡を絶たないと、いつまで経っても回復しない」
と言った。
先生には再三そう言われたけれど、なかなか実行には移せなかった。
「連絡を絶とう」、と何度も伝えては、結局出来なくて連絡をする始末。
本当に振り回してしまった。
カウンセラーのことを、「なんでそんな冷たいこと言うの?」と恨めしく思ったこともある。
「ケイがいてくれるから、私は孤独じゃないのに・・・」、と。
カウンセリングをボイコットすることもあった。
だけど私にとっては、カウンセラーもずっと診てくれていた恩人だったので、
ないがしろにすることも出来なかった。
そして、彼の話が正しいこともなんとなくは分かっていたのだけれど、
いざそうなると、私は「いやだ、誰かそばにいないと、耐えられない」と拒否していた。
本当に依存症というのは、中毒のようなもので、
そこから抜け出すのは、かなりの月日が必要だった。
そうこうして、心中から1年が経ち、友人と遊ぶことも出来るようになった私に、
両親は、働くことを勧めてきた。
携帯もほしかったら、自分で稼いで買えとのことだった。
そこで初めてハローワークに行き、母と一緒に仕事を探した。
私は本当に体力がなかったため、そこで選んだ仕事は、
1日5時間、週に1度だけのバイトだった。
仕事内容は、単純な棚卸し作業だった。
だけれど、友達に会った日は神経が興奮して眠れない、
翌日疲れて熱を出してしまうような私にとって、
その簡単な作業が、苦痛で仕方なかった。
5時間、立ったりしゃがんだりするその仕事が、
私にとってはかなりの肉体労働だったのだ。
翌日は泥のように眠り、発熱し、次の仕事まで1週間かけて体調を整える。
そんな毎日だった。
それでも負けたくなかった。何に、と言われたら自分に、だろうか。
両親の期待にも答えたかったのもあるが、私自身が、
早く普通の社会人になりたいと焦っていた。
働き始めて、数ヶ月、さらに私は職場の人間関係でも悩むようになっていた。
そこの職場は、ほとんどがおばさん達だったのだけれど、
私が既婚なのに別居中ということを知ると、詳しい話を聞きたがった。
自分の家族の自慢や、噂話、それらを話す中で、私の身の上話も聞きたがる。
私は、出来る限り会話するのを避けていたが、だんだん嫌気がさしていった。
そうして初夏の頃、私の家に、次兄が問題を起こして帰ってくる。
兄は、警察にお世話になるようなことも色々やらかしていたのだけれど、
その時は失踪という形を取って、実家にやってきた。
私は次兄が好きだったので喜んだけれど、問題を抱えての帰郷だったため、
家の中に不協和音が広がっていた。
兄宛にかかってくる怖い電話が鳴るたびに、私は怯えて、
だけどここで私が弱ってしまったら、兄が家に居づらくなると思って我慢した。
でも私には、昔のような忍耐力はなくなっていた。
すぐに限界がきて、それらが積み重なって爆発し、
結局、自分が家を出て行くことに決めた。
だが、家を出るところを捕まえられて、初めて救急車に乗せられた。
普段とは違う精神病院に連れられて、医者に怒られてしまった。
ちなみに、それ以前にも私は家出試みたことがあったから、親が危惧したのだと思う。
次兄はそんな私の様子を見て、自分がここにいたら病気が悪くなると感じたのだろう、
実家を離れて帰っていった。私のせいで申し訳なかったな、と思う。
そんなわけで、次兄がいなくなった後、私はそれまで耐えていた仕事も辞めてしまった。
なかなか思うように回復しない自分の心身に、うんざりしていた。
また、その頃、まく吉と完全に連絡を絶ってから1年が経過していた。
1年経ってもまだ、私の中には義理人情というか依存心というか、
まく吉を慕う思いが残留していた。
だけれど、同時に憎しみも深く芽生えるようになってきていて、困惑していた。
あんなに愛した相手のはずなのに、まく吉が憎い。
いつかまく吉の元に戻って、一緒に生活を立て直すつもりだったのに、
それに対して拒否反応が起きる。
まく吉と出会わなかったら、私はこんな辛い目に遭わなかったのに、
そんな意識が頭をもたげてきたのだ。
一度こっそり市役所に行って、離婚届を取ってきたこともあった。
親に訴えたものの、医者の判断で却下されてしまった。
私はその頃、焦燥感でいっぱいだった。
なにもかもが、中途半端で、一向に前進している気がしない。
「慌てないでいいよ」という親や周りの言葉はありがたかったが、
同時に、「やっぱり仕事ダメだったか・・・」と落胆した父の姿も目の端に映った。
友達が雲の上のような存在に見えた。
みんな仕事をきちんとこなして、旅行に行ったり遊びに行ったり、素敵な恋愛をしたり。
お金に惜しみなく食べたいものを食べて、車を運転し、ショッピングを楽しむ。
親に週1度の仕事を送迎してもらって、なんとか行き、
それすらも辞めてしまった私には、みんながうらやましかった。
早く大人になりたい子供のように、早く健常な社会人になりたかった。
だけど精神も体も、思うようには動かない。
ゆっくりとしか、治っていかない。
焦っては、転んで、立ち上がっての繰り返しだった。
今頭痛がするので、続き書けるか分かりませんが、
書けたら載せますね
確実に気持ちの面とかで少しずつ前へは進んでいってるよね
過去の話だから応援しても意味ないけど、頑張れ~
体調の良い時でいいよー。まってます!
ありがとうございます
今もまだ完全には良くなっていないので、
応援、嬉しいですよー
>>654
優しい言葉ありがとです
書いてたら頭フワフワしてきたので、ちょっとだけ載せて今日はおしまいにします
23:04更新【大長編9/11】ある宗教の人生相談サイトで『悩んでいる人メールしませんか?』という投稿に、私「悩んでる人の力になりたい!」→メアドを載せたら人生が崩壊した・・・へ続く
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